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映画にハッピーエンドを求めるのはナンセンスなのか? [エンタメ]

昨年はソーシャル・ネットワーク
そして今年ドラゴン・タトゥーの女を手がけたデヴィッド・フィンチャー監督が
何かのテレビ番組でインタビューされていたのを何気なしに見かけました。

その数時間後、テレビで邦画
「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」
が放送されていました。

漫画で見ていたのか大筋のシナリオは頭に入っていたのですが
映画はまだ見たことがありませんでしたので見ることに。

デヴィッド・フィンチャー監督のインタビューと
映画「ブラック会社に勤めているのだが、もう俺は限界かもしれない」
を立て続けに見たことで、ちょっと考えることがありましたのでつらつらと…紆余曲折あるものの、最後には皮肉を交えながらも
おおよそ丸く収まって終わるこの映画を見ていた時
そのちょっと前に見たデヴィッド・フィンチャー監督の
インタビューの中で語られていた話を思い出しました。

そのおおよその内容…
デヴィッド・フィンチャー監督は、自信の映画の中では
誰かが不愉快になったとしてもハッピーエンドの映画は撮りたくない。


映画のシナリオがハッピーエンドなのかそうではない方がいいのか
そういった事は、主観的な判断になりますので
ひとつの正解というものはないことでしょう。

ただ、現実の人生ほど残酷な物語はないのかもしれない…と
そう考えてしまうわたくしとしましては
せめて映画の中だけでも希望の持ちたくなるような
そんなお話の流れをなくさないで欲しい…なんて思ったりもしてしまいます。

人によって、映画に求めているモノが違ってくることでしょう。

全ての鑑賞者を満足させられる作品作りなど不可能だと思います。

とはいえ、それでも毎年多くの作品が公開されている中から
名作と語り継がれるような名作が生まれてきていることもまた事実です。

制作側としての葛藤も様々で大変だとは思いますが
好き勝手に感想を持ってしまう多くの映画ファンを
楽しませてくれる映画をもっともっと作り続けていただきたいと
そんなワガママな願いを抱いてしまいます。


その為にも、もっと映画を見に行く人が増えてくれないといけないのか。

その制作には多くの手間暇がかかる映画ですから
そこにかかる人の手もお金も莫大に必要なことでしょう。


ムダ使いを節約することはとても大切なことだとは思いますが
必要な所には使うことを惜しまない。

適正価格までケチるような風潮が下火になってくる事が
文化の盛り上がりには必要なことなのかもしれません。

その為には、また結局多くの人が生活にゆとりを持てるだけの収入が必要。

結局は経済的な問題が解決されないと、文化的な生活も豊にはならんのか。


映画に限らず、文化的な娯楽全般を
日常の中で楽しみながら生活を送るために
作品を創る側ばかりだけが苦悩するのではなく
作品を楽しむ側も、厳しい目を持って作品を嗜む事も
重要なことなんだなと、思った今日この頃です。


だからどうしよう?とかそんなお話にはなりませんでしたが(笑)
文化というのは創る側だけでは成立しないものなんだな、ということを
改めて再認識することができました。


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